日常と橋本病とストレス

ストレスが酷すぎるのでブログで発散。

自分の性格と初めての挫折

まず、元々の私の性格などについて。



私は元々あがり症で、大勢の前で発言したり、

何かを発表、プレゼンすることが大の苦手だった。

これに、人見知りが関係しているかは不明。


学生時代は自分で言うのもあれだが

すごく真面目だったと思う。

成績は全て平均以上は取っていたし、

テスト勉強もカフェに篭って1日中など、

それなりにしていた。


単位も1つも落とさなかったし、というか

落とすことに対する嫌悪感があったので

体調不良以外は必ず授業を受けていた。

友達がだるいから、と休んでも

自分はその輪を抜けて授業に行っていた。



そんな私が挫折を覚えたのは、初めての就活の時。

私は当時、就きたい職業が一切なかった。

就活を『やっている』のではなく、

『やらされている』という感覚の方が

近かったかもしれない。と今では思う。


まずは、漠然と事務職を目指した。

理由は、消去法。

人見知りだし、大変そうだから営業は嫌だ。

土日休みがいいから、サービス業は嫌だ。

IT?パソコン分からないから嫌だ。

介護は疲れるしブラックだよね?嫌だ。

という感じで。


たくさんの企業説明会に行ったが、

ピン!とくる企業はひとつもなかった。

その後、母校にとある大手企業の事務職を5名程度

確約にて採用したいと連絡があったことを

聞いた私は、早速応募することにした。

大手、安定、確約、全ての言葉が

私をやる気に満ち溢れさせた。


それからは、一度そこの説明会に行き、

社員の方にたくさん質問し、アピールした。

職場見学も邪魔にならない程度にさせてもらった。


私の本命はここだ!と、この時に決めたのだ。


それから、みんなの就活を見つつ、

エントリーシートWebテストを通じて

私は1次面接まで辿り着いた。

1次は、食堂のような広い部屋で1対1の面接が

複数箇所で行われていた。


私の面接相手は、優しそうな女性だった。

すごく親身になって話を聞いてくださったので

とても好印象だったのを覚えている。

私も笑顔を絶やさず、話が弾むようにと 自分なりに頑張った。


1次面接結果 : 合格


私はとても嬉しかった。

だって、うまく話せたと思えなかったから。 それからすぐ、2次面接、最終面接まで進んだ。

だが、最後の質問で躓いたのが分かった。 数日後、結果が届いた。

最終面接結果  :  不合格

どうしても狙ってただけあって、 落ちた今、すぐにでも死にたくなった。 母に何て言おう。あんなに応援してくれたのに。 もう就活したくない。そう思った。

それからすぐ、やる気が無くなった。 もうどうでもいい。何もやりたくない。 燃え尽き症候群のような気持ちだった。

周りは内定をとっていく中、私は0。 頑張らなきゃ!そう思って新たな企業説明会へ 参加しても、全然身が入らなかった。 いいところがあっても、失敗が頭に浮かんで、 消えなくて、苦しかった。 私は、嘘も下手だし話も下手。 なかなか内定に結びつかなかった。
絶望しすぎて、死んでしまいたい、どこかへ 行ってしまいたいと思ったことを覚えてる。 家に帰れば親から就活はどうだの聞かれて 呆れられて、自分の居場所は無かった。 たぶん、本当にどこかに行ってしまいたかった。
ただ、母は鋭い。 私はずっと図書館にいたのだが、 そこが閉まってしまい外に出るしか無かった。 でも、帰りたく無かった。
母に帰りたくないからと伝えたら、 すぐに電話してきた。涙声だった。 何かを察したのか、帰るというまで 電話を切らないと言ってきた。 私はしばらく泣いていたが、諦めて家に帰った。 母は優しく接してくれた。

とうとう卒業式になった。 私は内定0のまま式を迎えた。 そんな状態のまま先に出るのが、 友達と並ぶのが恥ずかしかった。 母にもおんなじ思いさせたかな。 できの悪い娘で本当にごめんね。 私も大好きな友達と卒業旅行、行きたかった。
卒業式を迎えてからも、学校の就活支援や ハロワに通い詰め、面接を片っ端から受けた。 4月を目前に控えたある日、最終面接の 合格通知を受けた。 私は結局、そこにしか内定を貰えなかったのだ。 そして、そこに入社することを決めた。

これが、私の挫折の始まりだったのかもしれない。